ろんろんろんろんろん

えびみりんと堅揚げポテトの梅こんぶを主食として菜食主義者を目指す

結婚論

 

僕が大学一年生の頃、当時クソお世話になっていた4年生の先輩に23時ごろに今から家来いみたいな感じで、シャワーはとりあえず次の日の為に浴びてから終電に乗り込むことがままあったりした。そのときに集合していた当時僕達からみたらとんでもない存在だった先輩方の、結婚というトピックの際にぽろっと言われたことがあって。
「この歳になるとそういうの(結婚するということ)を考えざるを得なくなってしまうんですよ」って笑いながら、でも僕から見たらその笑みがなんとなく幸せなことなんだろうなっていう、まだ一年生の自分にはそういうトピックで盛り上がることもなかったからわからない、充実した時間みたいなのを覚えている。そしてその時感じていただろう感覚は先輩ともう同じ年齢になってしまった今なら少しくらいはわかるような気がしている。
意外とその感覚は車を運転しながらどうやら大人っぽい会話をしている空間においてもわりかし発生するもので、なんだろう。中学生の僕は常々そういった大人の幸福的瞬間にたいしてある種の憧憬を覚えていたと思う。
そしてその感覚は自分が幼稚園に通っていた頃から親が頻繁に連れて行く地元の居酒屋チェーンで幼馴染みと酒を飲んでいる時にも感じることだったり、社会人になった今でも集合場所がおなじみのマクドナルドだったりするときの感覚。ああ、僕はもう大人になったのだと、しみじみと、懐古しながら今までの歴史を振り返っていたりする。わかるかな?この変わらない空間と時間軸がうまく複雑な関係で切迫してくるが、その感覚が心地よくて。その一時の幸福度はすごい高い気がする。


<結婚における意思決定プロセスの内省>
22歳にもなると、そろそろ僕もそういうこと考えるようになるわけですよ。
僕がストレートに大学を卒業したら24ですから、そっから3年間ちょっとがんばろうみたいな感じで過ごしちゃうと、もう27歳じゃないですか。
27歳になってようやく、よし、頑張って結婚するどってなっても
あれ、なんかどうなん?みたいな感じになって結局婚期逃しますよねって話になってくる。
んじゃあ結婚しなくていいじゃないですか、婚期なんてないっすよ別に30代で結婚する人なんてザラなんですから、みたいな事になってさ。
確かに僕も僕でその理論には納得してはいるんですけど、個人的な見解として
なにかこう、30歳になってからの結婚ってイメージ的に、なにかこう戦略的というか、金銭的安定とか、社会的ステータスとか、愛の感性がちょっと汚くなってしまうような気がしてダメなんですよ。
もし相手が必ずしもそうは思っていないと思っても、社会にでてから出会う女の子にしろ、社会に出る前に知り合っている女の子にしろ、
そういう、確かに自分なんだけど本質的な自分ではない、つまり代替可能である価値に魅力を持っているのではないかっていう疑いが、自分の中で拭えないような気がしてしまうわけなんです。で、代替可能価値に魅力があるっていうのはつまるところ、もしもより良い案件がでてきたら流れてしまうわけなんですね。なんだかんだ自分がこの子と結婚したいと思う子の市場価値みたいなやつって凄い高いと思うし。
まぁただこれは相手の問題ではなく、自分の問題なので自分で解決すべきテーマではあると思いますが。

という点において、僕が大学に入学してから決めたことの一つとして、大学生活の最中に出会うことの出来た人と結婚するのが最も良いのではないかっていう仮説があるんですよ。どうしてかっていうと、

いうて僕って今なにもない状態なんですよ。想いはあるが、それをまだ実現していない状態(もちろん、ある程度どのくらいの社会的ステータスになりそうかっていう予測は立つが)が続いていると。お金ない、学歴(実績)ない、なんもない。相手も同様に、お互いにない状態で、何が特別を醸成するのかって話じゃないですか。(前提として大人の戦略的恋愛は際限ないし、特別とかないっすよ。競争社会です)なにもない状態で選択してくれるということは、表面的な代替可能な魅力ではなく、自分の内面的魅力を見て判断してくれてるわけじゃないですか。こんな僕をですよ。物好きなもんですよ(´・ω・`)
そして何より、その想いを支えてくれようとしていることそれ自体がぼくにとっては最も重要な気がする。同じ到達点を描けていることってなかなかないですよほんと。
というわけで、相手に対する固有性とか特別性っていうのを醸成するってなると、ある程度の判断基準が必要になってくるわけなんですよね。それをどこまで描けているかが割と大事で。その条件を自分の中で満たした時に、多分彼女ができて、で、大学生のうちにできた彼女と結婚するのが最良みたいな感じですかね。

僕が結論として出したのはこんくらいかな
①同じ到達点を描けている
②価値観の一致率
③愛嬌がある
④気配りができる
⑤話が面白い
ここまでが跳満って感じ。こっから裏ドラ(おっぱいが大きいとか)が乗ると数え役満になりますみたいなことが起こる。役満になったらもう求婚ですよね。求婚します。求婚されたらああこいつハネたなって思ってくれて結構です←


で、結論として、以上の5つを制覇するやつなんてこの世に存在しないわけなんですよ。それだから職業が童貞なんですけど、でもこの辺って本当に譲れなくて。
これらの結論って、すべてさ、一生一緒にいる為にお互い必要なものっていう認識をしていて。特に特別性をはらむのが①と②なんだよね。役職柄、ビジョンとかをすげえ大事にする人なんだけど、これから先どんなことが起ころうと、ここに到達するまでお互い頑張る、であったり、お互い信頼しあっていける。みたいなやつこそが大事。それ以外に生じるお互いの嫌なところ、嫌いなところ、あるいは断罪みたいなものって、その同じ到達点を描いている点と価値観が一致しているという固有性なんてものに比較したら、取るに足らない些事なんですよね。そんなもので一緒にいられなくなることなんて多分ない。もし自分の感情的稚拙さであったり、不寛容さのせいでその一致性を喪失してしまうくらいなら自分の問題として解決しちゃったほうがいいですから、間違いなく。そうなってくると、なんか恥ずかしいけどもそれこそが愛の境地だなっていうのが朧げながらわかってきたような気もしていて。

そうそう、これだと僕は少しだけ相手に求めすぎているような気もするのですよ。だからその結婚っていう制約と誓約にかけているのが
"その子とその子ども(たち)を一生守り切る"
なんですよね。僕はマザーテレサになりたい←

僕は残念ながらとても人に言えたような家庭環境ではないです。それくらいブラックな家庭環境で育ちました。
だから中学からその事ばかりを考えてきたし、結婚ってやつはなんなんだと。家族ってなんなのだと。 別にそんなしょーもないものなくてええんやないかみたいな。
そんなブラックな家庭出身なやつが幸せな家庭なんて築けるのかみたいなところもいわれるし。母子家庭の奴とは結婚すんなってよく言われるじゃないですか。僕は多分相手方の両親には結婚反対されるタイプの人間なんですよ。奨学金という名の借金は1000万弱ありますし。現に元カノの親にはショッキングなこと言われまくりましたよ。


でもそれって悔しくないっすか、なんで俺の幸せお前らが決めんねんと。
俺が幸せになれるかどうかは俺が決めたらいいことだし、なによりそれができないって思われることと、自分が家庭を持った時にこの悲しみの連鎖をどうしても断ち切りたいと思って。
なにより僕は家族ってやつの幸福感を知らないから、それを知らずに死にたくはなかった。

おかげさまで、親に感謝するって気持ちはみんなより先に知っていて。
毎日弁当つくってくれるおかーちゃんがいることのありがたみなんて、みんなわからんのですよ。もし仮にわかっていたとしても、その感謝を伝えるところまでにも至らんし。
少しでも苦労させまいって、パートで働きながら早起きして、帰ってきたらかならずお帰りっていってくれる両親の存在のありがたみを僕はみんなより先に知ることができた。これは失ってから初めて気づくものなのかもしれないね。


今どきって結婚の費用対効果が悪すぎてしたいと思う人が減ってるじゃないですか、ホリエモンとかはあちゅうとかよく言うし。それって損得のものさしで測ってるからそうなると思うわけなんですよね。僕個人としては損得で測っても得になる状態を描けばいいと思っているので、結婚は確かにコスパ悪いけど、別にそれでいいんじゃないですかって結論なんすよね。

まぁ、そういうわけで、もう三年生だし、22だし、来年23だし
そろそろ潮時なんですよ。気楽に待つっていうのもなかなかできなくなってきた歳なので、今年はがんばっていきたいなーって思います