ろんろんろんろんろん

えびみりんと堅揚げポテトの梅こんぶを主食として菜食主義者を目指す

最近考えていること2

<恋愛について>
恋愛における選択の数々というのは、基本的にはこう、あってないようなものだと思っているんだけど、その中でも印象的だったのは、「その人じゃなきゃいけないっていうのは、その人と過ごしてきた時の中で生まれるもの」っていうのが今の自分にない視点だったと思った。特別という仮決定が特別感を育んでくれるらしいことに、僕は最近になって気づいた気になっている気がする。


結婚っていうのはライフイベントとして認定されていると思うんだけど、結婚っていうのを"したい"って思っていることそれ自体は"しなくてはならない" "して当然だ"っていう超自我を形成する文化や常識の中に存在して、その範疇における意思決定でしかないとなんとなく思ったりする。その他の要因としても、自分の子供を育てたいとか、そういうことを思ってみたりするわけだけど、自分の子供がほしいっていう感情的な要因は、"子供が第二の人生を歩んでくれるに違いない"っていうある種傲慢な発想から生まれているような気もする。

だからといって自分が結婚したくないわけではないんだが、単純に、"意思決定の仕方がわからない"ってところに、恋愛がうまくいかない要因があると思ってきている。
先にも述べた通り、意思決定の理論武装っていうのは基本的にうまくいくものではないはずなのに、こと恋愛における論理を超えた感情の移ろいに対して、僕はあまりに幼稚なロゴスをぶつけては、理想主義者の界隈に漂うだけだったんだなあと、酒を飲む席にて、決意を新たにする必要性を感じた。

決意を新たにするというのは、僕は実際に会うことがニアリーな解のような気がしていて、その時の感情の変遷を事細かに記憶することから始めようと思って。 
僕は単純に意思決定能力が理想論との狭間で蠢いているしょうもない野郎なので、単純な心の情動を的確に認識することが大事だということを思った。
その中でも特に、僕にとって大切にしなきゃいけない価値観だなぁという風に思ったのが、
"自分の人生をかけて、その子を守りたいと思えるかどうかと、たとえ一時の感情であろうと、その決意を固く守りきることができそうか"
もし仮に、この子を守っていきたいなって思ったら多分僕は僕自身の為の恋愛は成功するんじゃないかなあなんてそんな仮説実験を試みてみた。
それが中学時代からの判断軸だったなぁなんてことを思い出しながら(僕は幸薄そうな子が健気に頑張っている姿勢に心打たれる中学生だったのだ)

 

なんとなく、今の自分のままではきっとその子のことを幸せにすることができないって思って過ごしていて(自己実現を優先してしまうきらいがあるので) だから僕は同じレールの行方を辿れる人と出会いたい、ただその一心でただその時を待つばかりだったはずだと思う。
大事なのは、自分からきちんと行動に起こしていくことで、心揺さぶられる思い出を少しでも多く拾い集められたら、「その人じゃなきゃいけないっていうのは、その人と過ごしてきた時の中で生まれるもの」の本当の意味を知ることができそうな気がする。