ろんろんろんろんろん

えびみりんと堅揚げポテトの梅こんぶを主食として菜食主義者を目指す

起業VS就職に対する自分の結論①

こんにちは。

この前の記事では自分の認知に対する言語化を行ったので、
今度は自分の判断に対する言語化をしていきたいと思います。第二弾です。
評判がよかったのかどうかはわかりません。

 

前置きとして、この表題に対する自分のスタンスなのですが、
基本的に判断や解釈っていうのはその人にとってのものでしかないよね

っていうのを念頭に置いていきます。
というのも、自身の考え方として最近これだなぁと思うようになったものに、
"生きていれば、常になりたい自分に近づいているよね"
って考えるようになったからです。
この常になりたい自分っていうのは"常に最上を目指している自分"、というわけではなく、"自分の意識下で想像され続けている自分"であって、"事実や現象を解釈している自分"です。
つまり、今の自分は、過去に自分がそうなるだろうと無意識的に想像していた自分。となっているはずです。多分。
過去に想像していた自分を超えた場合においてのみ、その振れ幅に成長というものがあるので、常に自分が想像している自分を超え続けることが重要でもあると思うんですけど、今の自分が今の自分たりえているというのは、世の中の環境や情報を如何に解釈したかでしかないよねっていう結論にはなっています。
例えば日本に所得格差があって、その先天的な要因が自分の達成を阻害していると解釈している人は常に環境を理由に阻害されたい自分に近づくので、結果としてお金持ちにはならないみたいなケース(なったとしてもその所得に満足することはない)

アドラー心理学から色濃く影響を受けていますが、現代社会をより良く生きていくライフハックとして有用性が高いので、Twitterにも書いてたのですが一応こちらにも記載しておきます。

 

これに対して表題の通り、起業すべきか、就職すべきか?
という問いに対する結論は、「なりたい自分になるように選択をしている」はずであり、なりたい自分を鑑みた時にどっちの選択肢の方がなりたい自分に近づく手段となっているか? で意志決定すれば良いと考えているため、良し悪しをジャッジしているわけでは決してないです。自分にとってどっちの選択肢がよりなりたい自分に近づきそうか、という判断をしていました。そのなりたい自分に到達する過程で必要な、
事業としてヤリタイコトの方向性や自身の志向性、または自分のポテンシャルであったり、能力的適性などを判断材料としています。これは内的な判断要因ですね。コレに対して外的判断要因は、市場環境や交友関係などが判断材料になると思います。ロジックの組み方も影響すると思いますが、どちらが良いか悪いか、というのは常に自分にとっての合理性でしかなく、そのロジックが他の人にとって同じであることは滅多にないということになります。(今ここで上げているロジックという言葉に、自分のWANTを内包してますが、自己認識に対する客観性という意味だと思ってください)

僕の周りにも起業している友人が何人かいたり、知り合いくらいの距離感でいうといっぱいいたりするのですが、そういう友人のことをすごいなーって思っているし、
彼らの選択っていうのは彼らがそうなりたくて選択しているのだなっていうのも理解しているつもりです。その友人の多さでいうと、だからこそ今自分はここで彼らと違うことをしなくてはならないと思っていたりもします。この判断は自分の選択に対する後付けロジックともなってくるのであんまり優れた判断ではないですが、そういう解釈も自分の中にはあります。
書いていて補足しないといけないなと思ったのですが、基本的に人は特にキャリアみたいなものに対して合理的に意志決定することが困難だと思っています。
例えばA社とB社の内定を持っていた時に、どちらにいくかという判断は、
一見合理的に選択しているように見えて、実はA社を圧倒的に贔屓したロジックを自ら構築することがある。
という場合です。
なるべく情報としての事実とそれに対する自分の解釈を分けて記載していきたいと思いますが、綺麗に切り分けることの困難さについては予め記載しておきます。

 

さて、というわけで今から自分の判断というのをつらつらと書いていきたいと思います。

 

判断①機会の希少性

最初に考えたかわかりませんが、意志決定する材料として、
起業した場合と就職した場合の機会希少性について考えてみました。

結論からいうと、起業はいつでもできるという観点で、希少性が薄い

という判断になりました。
では僕達の解釈の中で、何が希少性が高いと感じさせているのかですが、ポイントは2つ

①起業家の人数(マイノリティ性)

②年齢的考慮(学生起業家の希少性)

この判断でいうと、学生起業家は希少性の高い人材であるといえます。

しかし、機会としての希少性でいうと、誰でもできる。と思っています。
つまり、僕達が普段学生起業家の希少性が高いと感じている理由は、
自分のマインドによって行動に制限をかけている人が大多数な為、学生起業家が相対的に希少化する
っていうことなのではないかと思います。この自己制御に対して述べるのは少々めんどくさいので端折ります笑

これはあくまで解釈の話なので、
機会の希少性を考える上で適切な比較軸を作ったほうがいいと思います。
それがこの2つかなぁと現段階で思っているものです。

①学生起業家として機会の希少性を獲得する場合
②新卒採用のカードを切る場合の希少性


この2つについて比較するのが適切だと思います。

これを考えていくと、新卒採用というのは今後の日本社会ではなくなっていくよねーという市場環境としてのプレミア性もありますが、
時間軸で考えた時、もう二度と新卒入社することがない、という意味において、希少性があがる場合があります。(勿論、二度と学生起業家になることがないことも同様です)

どっちの方が価値が高いのか〜でいうと、どっちの方がより付加価値としてリターンを得やすいか、そしてどちらのリターンを自分は好むのか、で考えるのが良いと思います。

この解釈をするのは勿論有用だと思います。ここが比較基準になることもあとあとあるのですが、ここで決断を出そうとすると「そいつの価値観によるよね」っていう全くもってつまらない結果になるので、ひとまずこの比較軸があるよねーということで次に進みます。

 

判断②資本獲得としての判断

自分の判断軸に、どちらの方が稼げるか。というのも実は軸に入っていたりします。
これは大資本と小資本だったらより大きい方が選択の幅が広がるが故に成長しやすい
という解釈と、生活を送る上での安定性 がポイントになってきます。

下図は潜在的に僕たちはこうなることを期待しているよねっていうやつです。

 てきとーにポチポチつくったので、この乖離の適切さとか抜きに、
原則としてこういう曲線を描くよねっていうところを理解してもらえればと思います。

僕は割とお金欲しいな―って思ったりするので、一気に大金が手に入るのとか、魅力に感じたりします。

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この曲線のポイントは、

最短で大資本を手にすることVS中長期的に大資本を手にすること

となっています。
そしてサラリーマンが具体的にどうやって大資本を手にするの?ってなったら、
出世するっていう方法になってくると思います。
つまり、この議論の派生先は、出世して社長になるか、起業して社長になるか 

だったりします。

特に自分の場合はエグゼクティブに近いほうが向いている気がしているタイプの人間なので、いずれにせよ社長にはなりたいと思っています。
そのため、資本軸から派生して、次の判断軸を織り交ぜながら解釈していきます。

 

判断③起業家としてのCEOの希少性VS大企業CEOの希少性

なりやすさだけの基準でいうと、前者の方が圧倒的に簡単です。
後者の方が難しいというか、時間もいろいろなんかかかる。
あとは経営という観点で、
10億規模の会社を経営することと1000億規模の会社を経営するか
ではその内容が大きく異なります。


ココからは解釈についての話なのですが、例えば社会をなにかしら良くしたいと思っている場合、手段として起業するか否か、というのが観点として入ってくると思うのですが、

本当に社会を変えるレベルの会社にするためには、そこそこの規模感の会社にしなくてはならないと思います。そのため、社会的大義を掲げて起業をする場合、1から楽天やヤフー、DeNA、といった会社以上のレベル感を前提としていないといけないし、その規模になったとしても、社会的大義を果たしている会社であり続けるというのは特に難しいと思います。ユーグレナとかは素敵だなって思っていますが、びっくりするほどレアれあれららあjkふぁjlkじぇ;あ
って感じ。

なので、目的として10億規模の会社でもいい場合と、1000億規模の会社でないと行けない場合というのは戦略も手段もまったくもって異なっているというのを理解しなくてはならないと感じました。

自分の場合、学生として起業した場合に、少なくとも時価総額1000億規模の会社を創るというのは今の自分の内的外的判断材料を考えると不可能に近いと思ったので、
申し訳ないけど会社に入って成長させてもらいたい、という考えになっています。
そして特にその理由が自分の決定要因の中で最も大きいと思っています。

 

10億規模の会社でもいい場合というのは、どのようなライフスタイルを好むか。
という生き方の問題になると思っているので、これは後で選択することもできるなって思いました。働いたこともない段階で、どっちがいいとかをジャッジするのはなんか違うと思ったりもしました。
というか10億規模の会社を経営するっていう段階ですら至難の業っぽいので偉そうなことなんも言えないんですけど。

 

じゃあもう少し成功確率の高い方法で、社会的影響力の大きい活動ができないか。1000億規模の会社を経営することはできないか。
そしてその経験の希少性の高さを考えたらどっちのほうがよさそうか。
という判断をした時に、ああできるだけはやい段階でエグゼクティブになれそうな会社に入るのは良い選択だよね、っていう結論になりました。
こうなると如何に最短でエグゼクティブになるか〜の議論から
ベンチャーVS大企業の議論になるので端折るんですけど。

あ、書いていて気づいたんですけど、自分の判断軸により影響力の大きい仕事をするっていうのが暗にあるのが前提になっていました。すんません。
これもロジックを組もうと思ったらいくらでも言えると思うのですが、
社会をより良くしたい!って考えているので必然的に「これで社会はよくなるのか?」みたいなことを考えるようになります。そうなると必然的に影響力の大きさがすごく重要になってくるみたいです。

社会の規模感に対する定義は人によって異なると思うので、それが日本社会の人もいれば、世界で見ている人もいると思います。どっちがいいかっていわれたら世界の方が良いのかもしれないですが、その人の能力や可能性の上限はありそうなので、自分の限界に合わせて決めればいいんじゃね?って思っています。勿論、その限界を決めているのは自分の意識下の想像なんですけど、意識下の想像をよりクリアに、かつより価値の高い想像をするためには、入ってくる情報や付き合う人や環境を変える必要があるので、今の自分が想像できる自分の限界というのが現在の自分の限界であると思っています。

たとえその社会の規模が自分のコミュニティだけであったり、家庭までを対象にしていた場合においてでも、それはその人の他者貢献を実現しているという意味で、とても素晴らしいことになると考えています。
逆に社会を良くするとか言ってるのに家庭を顧みず家族を不幸にしているようでは、なにが良いんだかわかんなくなってくるので、社会規模の定義はとても大事だし、人によってそのサイズが異なっても良いのだと思います。

 

 

・・・という感じで今書いていたのですが、
今から授業で次に書けるのが明日とかになりそうなので、
ひとまずこの辺でアップしておきます。
推敲がまだなので読みづらいところもあると思いますが、勘弁を笑

 

書いていないこととしては多分、具体的な得たいスキルセットとか、なりたい自分の軸と比較した場合の話があったり、全ての軸を統合的にジャッジするとしたらどうなるかーとかが抜けてるので、そこらへん書いていきます。